カールがソロモンのことをどう思っていたのか?
カールが自ら語るシーンは殆どないが、最も重要かと思われるのは、以下の台詞である。
「SAYA、一緒に行こう。家族にすら裏切られた君も僕も
望まれて生まれてきた訳ではない者同士!」
劇中にて、カールを裏切った人物と言えばソロモンしかいないのであり、
「家族」とはソロモンのことを指すと思われる。
人間であった時のカールにとって、ソロモンは家族同然の存在だったのだろう。
シュヴァリエになった後のカールのソロモンへの感情を知る手がかりは後半の、
「望まれて生まれてきた訳ではない者」
という台詞にある。
この場合における「生まれてきた」とはおそらく、カールにとっては1917年にシュヴァリエとして生を受けたことだろう。
「望まれて生まれてきた訳ではない」とは、望まれたのはモンゴロイドである第五のシュヴァリエ(=実験体)の肉体であって、カール・フェイオン個人が望まれてシュヴァリエになったわけではないことだと考えられる。ここでは誰に「望まれていない」のかは語られていないが、
「私をわかってくれるのは、敵であるSAYA,君
だけなんだ」
という台詞から、ソロモンを含む誰もがカール・フェイオン個人を求めていない、理解しようとしていないとカールが感じていたのは明らかである。
つまり、ソロモンにとってのカールとは、シュヴァリエのカールであってカール個人ではないと、とカールは考えていた。ソロモンもまたカールにとって、カール個人に対して無関心な存在の一人だったのだ。
(これが誤解であることはソロモンの発言からわかるが、ここから、90年近くソロモンがカールとの距離をとったまま一線を越えようとしなかったことが伺える)
また、カールが小夜に語っているシーンで「戦い=相手のことだけを考える行為である」という内容のカールの台詞があり、戦いの中で、(例えその達成が絶望的であったにしても)自分を理解してほしいという想いがカールにあったのだと思われる。
では、カールが死の危険をおかしてまで理解して欲しかったものとは何か?
それは最初にあげた台詞
「SAYA、一緒に行こう。家族にすら裏切られた君も僕も
望まれて生まれてきた訳ではない者同士!」
からわかるように、
1:家族と言える程の存在(=ソロモン)に裏切られたことで受けた精神的な傷。
2:自分個人を誰も求めていないという孤独。
である。
とりあえず、このメモで言いたいことは、
・ソロモンの言った通り、カールが孤独を感じていたことは間違いない。
・人間であった時、カールにとってソロモンは大きな存在だった。
・ソロモンはカールにとって自分を理解してくれる存在ではなかった。(カールはそう思い込んでいた)
*しかし、カールは「ソロモンが自分個人を理解していない、求めていない」と思ってもそこで諦めていたわけではない。それは後のメモに記す。
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